2026.06.09

94歳の母が教えてくれたこと

先日、94歳の母と一緒に、母の実家へ行ってきました。
母から「片付けたい」と頼まれていたからです。
実家といっても、今は誰も住んでいない空き家です。
まず取り掛かったのは、壁に掛かった額を外すことでした。
家の中にはそれほど多くの物はありませんでしたが、 仕事柄どうしても気になる物が目に入ります。
賞味期限の切れた食品、昭和を感じる品々、 新品のまま残された引き出物やお茶道具。
「これは買取できるかもしれない」
「これは誰かに使ってもらえるかもしれない」
そんなことを考えながら、母が草取りをしている間に、 自分で対応できそうな物を軽自動車に積み込みました。
気が付けば、 一部屋に集められていた品物の半分以上がなくなっていました。
帰る前に戸締りをしながら、私は改めて驚きました。
この家は空き家なのに、とてもきれいだったのです。
母は時々バスを乗り継いでここへ来て、風通しをしたり、 手に持てる物だけ持ち帰って処分したりしていたそうです。
私はその話を聞いて驚きました。
正直なところ、「また連れて来ればいいじゃない」 と思っていたからです。
けれど母にとっては違ったのでしょう。
「もう来ることはないかもしれない」
そんな思いがあったのかもしれません。
やりたくても思うようにできない。
気になっているのに手が届かない。
そんな歯痒さを抱えながら過ごしていたのだと思います。
片付いた部屋を見た母は、とても嬉しそうでした。
「移動手段がないから、もうここに来ることはないと思ってた」
「こんなに片付いて良かった。ありがとう」
そう言ってくれました。
私は片付けを手伝ったつもりでした。
でも母が本当に嬉しかったのは、 物が減ったことだけではなかったのかもしれません。
長い間、頭の片隅にあった心残りが少し軽くなった。
漠然とした不安が少し晴れた。
そんな気持ちだったのではないでしょうか。
そして帰宅した母が、ぽつりとこう言いました。
「今のこの家にいることが、自分にとって一番良い場所だから」
その言葉を聞いて、私は少し安心しました。
親はいつまでも親だと思っていました。
でも親もまた、誰かの子どもです。
94歳になっても、自分の実家を気にかける母の姿を見て、 改めてそう感じました。
また帰省した時には、母を実家へ連れて行こうと思います。
残っている物を片付けるためでもありますが、それ以上に、 母の心残りを少しずつ減らしていくためです。
それが今の私にできる親孝行なのかもしれません。
<こちらも読まれています>
「90歳を過ぎても娘なんだと思った日」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5225722/
「”まだ大丈夫”という親と、心配する子ども」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5223073/
「片付けの問題ではなく、家族の会話かもしれません」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5223846/
母から「片付けたい」と頼まれていたからです。
実家といっても、今は誰も住んでいない空き家です。
まず取り掛かったのは、壁に掛かった額を外すことでした。
家の中にはそれほど多くの物はありませんでしたが、 仕事柄どうしても気になる物が目に入ります。
賞味期限の切れた食品、昭和を感じる品々、 新品のまま残された引き出物やお茶道具。
「これは買取できるかもしれない」
「これは誰かに使ってもらえるかもしれない」
そんなことを考えながら、母が草取りをしている間に、 自分で対応できそうな物を軽自動車に積み込みました。
気が付けば、 一部屋に集められていた品物の半分以上がなくなっていました。
帰る前に戸締りをしながら、私は改めて驚きました。
この家は空き家なのに、とてもきれいだったのです。
母は時々バスを乗り継いでここへ来て、風通しをしたり、 手に持てる物だけ持ち帰って処分したりしていたそうです。
私はその話を聞いて驚きました。
正直なところ、「また連れて来ればいいじゃない」 と思っていたからです。
けれど母にとっては違ったのでしょう。
「もう来ることはないかもしれない」
そんな思いがあったのかもしれません。
やりたくても思うようにできない。
気になっているのに手が届かない。
そんな歯痒さを抱えながら過ごしていたのだと思います。
片付いた部屋を見た母は、とても嬉しそうでした。
「移動手段がないから、もうここに来ることはないと思ってた」
「こんなに片付いて良かった。ありがとう」
そう言ってくれました。
私は片付けを手伝ったつもりでした。
でも母が本当に嬉しかったのは、 物が減ったことだけではなかったのかもしれません。
長い間、頭の片隅にあった心残りが少し軽くなった。
漠然とした不安が少し晴れた。
そんな気持ちだったのではないでしょうか。
そして帰宅した母が、ぽつりとこう言いました。
「今のこの家にいることが、自分にとって一番良い場所だから」
その言葉を聞いて、私は少し安心しました。
親はいつまでも親だと思っていました。
でも親もまた、誰かの子どもです。
94歳になっても、自分の実家を気にかける母の姿を見て、 改めてそう感じました。
また帰省した時には、母を実家へ連れて行こうと思います。
残っている物を片付けるためでもありますが、それ以上に、 母の心残りを少しずつ減らしていくためです。
それが今の私にできる親孝行なのかもしれません。
<こちらも読まれています>
「90歳を過ぎても娘なんだと思った日」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5225722/
「”まだ大丈夫”という親と、心配する子ども」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5223073/
「片付けの問題ではなく、家族の会話かもしれません」
https://mbp-japan.com/gunma/kuratoto/column/5223846/






